猫は癒しではなく疑似親子を楽しむもの

ペットを飼う事は「癒し」ではないというお話を聞きました。人間の側が過剰にペットに感情移入するとペットロスを長く引きずることになります。ペットとの距離感はとても大切ですね。ところで今日は日頃から、愛猫に感じている気持ちについて書きたいと思います。いつも愛猫に語り掛けるときに「ママはね」と自分を親のように言ってしまうのですが、なぜでしょうか?

猫と人間の関係は疑似親子

他の飼い主の方はどのように感じていらっしゃるか分かりませんが、個人的には飼い猫と私との関係は疑似親子です。猫に語り掛けるときは必ず「ママはね」と自分をママ呼ばわり。猫もわが子のように感じます。

これは典型的なペット依存のような気がしますが、人間がいないと生きていけないペット(猫)を見ると、やはり母親の情のようなものを感じてしまうわけですね。また猫の方も、拾って保護した猫は親猫の愛情が十分にもらえていないこともあり、私を親同然にしたってくれます。

そのため子猫のときに保護したオス猫は、まるで私の息子のように愛しいです。溺愛していると言われれば確かにそうですね。

幼い頃に親と離れて寂しい幼少期を過ごした猫は、セーターや毛布など柔らかくて暖かくフワフワしたものを感だり、前足で踏み踏みする癖があります。このような行為をウールサッキングと呼びますが、甘えたい気持ちが高まっている証拠ですね。結局私が母猫の代わりに子猫を飼育してしまうので、親子のような愛情が芽生えてしまうのです。

猫と人間の関係はまるで疑似親子。心の寂しい現代人が猫(ペット)の魅力にはまってしまうのも、なんとなく納得できます。

命には終わりがくる

3月8日に子猫が生まれましたが、寿命はたった2日でした。あの子猫は私に「命には限りがある」ことを教えてくれたように思います。

猫の寿命がたった2日ということはありません。10年以上生きる猫は飼い猫であれば珍しくありません。でもどれだけ溺愛して大事に大事に育てたとしても、命には終わりがきます。それは避けようがありません。

その時は突然やってくるかもしれませんし、眠るように息を引き取るかもしれません。その日は必ず来ることを、飼い主は覚悟しておかなければならないのです。

もちろん高齢者の場合、ペットが亡くなるよりも前に飼い主が入院したり介護施設に入所するリスクの方が高いので、後々のことを考えて行動しなければなりません。命を扱うことはそんなに容易なことではないのです。

猫が増えすぎて多頭崩壊した近所の方(今は飼い猫を全て自宅の外に追い出し、野良猫化)、あのような飼い方はすべきではないでしょう。野良猫の寿命はとても短いので、飼い主が故意に猫を(間接的に)殺していると言っていい状態です。

命には終わりがきます。せめて一度は飼うと決めた猫であれば最期まで面倒みきれるように、最低限準備をしてから迎え入れてあげたいものです。疑似親子のような関係ですので、情があればいい加減な扱いはできないはず。

ただ溺愛するのではなく、最期までしっかり面倒見れるかどうか、よく考えてから飼いたいものです。

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